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最高裁判所第三小法廷 昭和43年(あ)1629号 判決

主文

原判決および第一審判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

弁護人中根宏の上告趣意第一、二点のうち、判例違反をいう点は、引用の各判例が事案を異にし本件に適切でなく、その余は、単なる法令違反の主張であり、同第三点は、単なる法令違反、事実誤認の主張であって、いずれも上告適法の理由にあたらない。

しかし、所論にかんがみ職権によって調査すると、原判決および第一審判決は、後記のとおり刑訴法四一一条一号により破棄を免れないものと認められる。

本件公訴事実について、原判決および第一審判決に示された事実関係とこれに対する法律判断は、おおむね次のとおりである。被告人は、自動車運転の業務に従事するものであるところ、昭和四一年一一月九日午前九時一〇分ごろ、軽四輪乗用自動車を運転して、東京都練馬区北町から同区桜台三丁目に通ずる幅員七、三メートルの簡易舗装道路を、桜台三丁目方面に向け、時速約二〇キロメートルで進行中、同区氷川台四丁目五〇番地先にある、右道路と、石神井川方面から川越街道方面に通ずる幅員一〇、四メートルの簡易舗装道路(以下「東西道路」という。)とがほぼ直角に交差する交差点にさしかかり、これを通過しようとしたものである。ところで、右交差点は、東西道路からの交差点への各入口の道路表面には、停止線が白色塗料でしるされており、その停止線の内側左端には、一時停止の道路標識が設置されているのであるが、交差点の交通整理は行なわれておらず、しかも左右の見とおしがきかないところであるから、被告人のように、自動車を運転して交差点にはいろうとする者は、そのはいる前に徐行するか、状況によっては一時停止して、東西道路における交通の安全を確認しなければならないわけである。被告人は、右交差点の入口側端線の一二、三メートル手前で時速一〇キロメートルに減速して進行し、自車運転席が右側端線の一、六メートル手前にきたところで、東西道路における交通の安全を確認すべく右方を望見したところ、右道路の手前側に沿って、前記停止線から約五、三メートル離れたところに自動車が一台駐車していたほかには、他に車両等の存在を認めなかったので、その後は右方を見ることなく、左側に注意しながらそのまま交差点に進入し、前記側端線から三、一メートルのところに自車運転席がきたときに、右方東西道路から川越街道方面に向い、時速三〇キロメートル以上の速度で進行し、右交差点にはいる前に徐行も一時停止もせず、そのままの速度で交差点を突破しようとしてきた石橋九二七運転の普通乗用自動車のバンパーを、自車の右側前部、運転席横のドア付近に衝突させ、その影響により、自車を左斜前方一六、一メートルに逸走させ、同所で作業中の鈴木豊(四六年)に接触させて、同人に対して全治までに約一か月を要する腰部および両下肢挫傷等の傷害を負わせたものである。そして、被告人が右交差点にはいるにあたって右方を望見したところでは、仮に右駐車中の自動車を考慮外におくとしても、交差点のかどにある建物により視界の一部をさえぎられ、右停止線から道路の中心線上を一九、五メートルまで、もし、右駐車中の自動車を考慮にいれると、同じく一八、五メートルまでしか現認し得ないことが明らかであり、他方、実験則によると、制動装置に故障のない自動車が、路面が良好で乾燥した簡易舗装道路を時速四〇キロメートルで進行中、運転者が停止の用意をしてから確実に停止するまでに自動車が走行する広義の制動距離は、約二二、三メートルであるから、被告人が、たとい右望見時に、その望見が可能であった範囲内に車両等の存在を認めなかったとしても、また、前記のように一時停止の道路標識などが設置されていても、その後右方を見ることなく時速約一〇キロメートルで進行を継続すると、自車が東西道路の中心線を通過するより前に、右望見時に望見が不能であった車両等が接近してきて、停止線に停止しきることができないまま交差点に進入し、自車の右側面に衝突すること、ことに、右車両等が道路の左側に寄って進行している場合には、前記駐車中の自動車により前方に対する見とおしを妨げられ、自車の存在を認め得ないことのあることをおもんぱかり、東西道路における交通の安全を確認するため右方を望見するにあたっては、前記停止線から道路の中心線上を、少なくとも二二、三メートル見とおし、その範囲内に車両等が存在しないことを確認しなければならないものといわなければならない。しかるに、被告人は、前記のとおり道路の中心線上一八、五メートルないし一九、五メートルの範囲内に車両等が存在しないことを認め、より遠くにある車両等は停止線に確実に停止するものと憶断し、時速約一〇キロメートルで交差点に進入したのであるから、本件事故について被告人に過失があることは明白である、というのである。

たしかに、被告人が右判示のような注意をしておれば、本件事故は発生しなかったか、少なくとも本件事故とは異なる事故になっていたであろうと思われる。問題は、被告人にそのような注意義務があるかということである。そこで、以上の事実関係を基礎にして、被告人の注意義務に関する右判示の当否について考えることとする。

東西道路からの本件交差点への入口には、前記のとおり一時停止の道路標識および停止線の表示があるのであるから、石橋九二七はもとより、車両の運転者は、すべてここで一時停止をしなければならないのである(道路交通法四三条本文、一一九条一項二号参照)。ところで、被告人が、前記のとおり右方を望見したときには、右停止線付近には、交差点にはいろうとする車両等は存在しなかったのであり、また、右望見によっては現認することができなかった車両等は、交差点にはいるに先だち、右交通法規にしたがって、一時停止し、その後で発進するのであるから、被告人がそのまま交差点に進入すると、被告人の自動車は、右車両等が交差点の中心付近に進入して来るまでの間に、交差点の中心線を通過しているはずである。また、仮に中心線を過ぎていなかったとしても、右車両等より先に交差点にはいっていることはまちがいないから、右車両等は、被告人の自動車の進行を妨げてはならないのである(道路交通法三五条一項、一二〇条一項二号参照)。したがって、被告人が、一度右方を望見したうえ、前記のような交差点の状況から、現認することのできなかった車両等は一時停止するものと信じて、そのまま交差点に進入したことをもって、不注意であるということはできない。

もし、原判示のような注意をしなければならないとすれば、進路左側に対する注意がおろそかになってかえって危険であるばかりでなく、一時停止などを定めた道路交通法の趣旨は没却され、無理が通れば道理がひっこむという不合理を是認しなければならないことになる。その不当なことは多言を要しない。

このようにみてくると、本件被告人のように、他方の道路の交差点の入口に一時停止の道路標識および停止線の表示のある交差点に進入しようとする自動車運転者としては、その停止線付近に交差点にはいろうとする車両等が存在しないことを確かめた後、すみやかに交差点に進入すれば足り、本件石橋九二七のように、あえて交通法規に違反して、高速度で、交差点を突破しようとする車両のありうることまでも予想して、他の道路に対する安全を確認し、もって事故の発生を未然に防止すべき注意義務はないものと解するのが相当である。

そうすると、本件において、被告人に過失責任を認めた原判決および第一審判決は、法令の解釈を誤り、被告事件が罪とならないのに、これを有罪としたものというべく、右違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであり、刑訴法四一一条一号により、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。

よって、同法四一三条但書、四一四条、四〇四条、三三六条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 飯村義美 裁判官 田中二郎 裁判官 下村三郎 裁判官 松本正雄)

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